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兵庫縣三木市志染町窟屋 縮見山石室 志染石室 市邊押磐皇子胤蔭圖
上田萬年『日本歷史畫譚』 名和永年繪 億計弘計二皇子歌舞述志 億計、弘計二皇子歌舞述志 弘計王顯宗歌:「稻蓆寢筵兮 川邊沿岸楊柳生 彼楊雖順水 靡薄起揚蕩飄泊 然其根兮未嘗失」
奈良縣天理市石上町古屋敷 石上市邊宮跡 兵庫縣明石市
赤石郡 明石市明石城  白髮清寧天皇二年 ,冬十一月,播磨國司みこともち山部連先祖伊與來目部小楯,於赤石郡親辦新嘗供物にひなへのそなへもの。【一云,巡行郡縣こほりあがた,收斂田租たちから也。】適會縮見屯倉首縱賞新室にひむろあそび,以夜繼晝。  爾乃天皇顯宗謂兄億計王仁賢曰:「避亂於斯,年踰數紀あまた。顯名著貴,方屬今宵。」億計王惻然いたみ歎曰:「其自噵揚ことあげ見害,孰與全身免厄たしなみ也歟?」天皇曰:「吾是去來穗別履中天皇之孫。而困事たしなみつかへ於人,飼牧牛馬,豈若顯名被害也歟?」遂與億計王相抱涕泣あひうだきなき,不能自禁。億計王曰:「然則非弟,誰能激揚大節ことわり,可以顯著あらはす!」天皇固辭曰:「僕不才みつなし。豈敢宣揚德業おほきなるむね。」億計王曰:「弟英才賢德かしこくにさかしき。爰ここ無以過。」如是相讓再三ふたたびみたび,而果使天皇自許稱述,俱就室外,居于下風くらしり。屯倉首命居竈傍かまわき,左右秉燭。
 夜深酒酣さけたけなは,次第儛訖。屯倉首謂小楯曰:「僕見此秉燭者ひともしひと,貴人而賤己,先人而後己。恭敬つつしみゐやまふ撙節,退讓以明禮。【撙おもぶく,猶趍おもぶく也,相從あひしたがふ也,止とどまる也。】可謂君子うまひとのこ。」於是小楯撫絃こと,命秉燭者曰:「起儛!」於是,兄弟相讓あひゆずり,久而不起。小楯嘖之曰:「何為太遲?速起儛之!」億計王起儛既了。天皇次起,自整衣帶みそみおび,為室壽むろほき曰:  築立稚室葛根わかむろかづね,築立柱はしら者,此家長いへきみ御心之鎮しづまり也。取舉棟樑むねうつはり者,此家長御心みこころ之林はやし也。取置椽橑はへき者,此家長御心之齊ととのほり也。取置蘆萑えつり者,此家長御心之平たひらぎ也。【蘆萑,此云えつり哀都利。萑,音之潤反。】取結繩葛つなかづら者,此家長御壽みいのち之堅かため也。取葺草葉かや者,此家長御富みとみ之餘あまり也。  出雲いづも者新墾にひはり,新墾之十握稻之穗とつかしねのほ,於淺甕あさらけ釀酒,美飲喫やらふ哉,【美飲喫哉,此云うまらにをやらふるがね于魔羅儞烏野羅甫屢柯佞也。】吾子等こども。【子者,男子をのこ之通稱かよへるな也。】腳日木あしひき此傍山かたやま,牡鹿角さをしかのつの之,【牡鹿,此云さをしか左烏子加。】舉而吾儛者あがまへば,旨酒うまさけ,餌香市ゑかのいち不以直あたひ買。手掌憀亮やらら,【手掌憀亮,此云たなそこもやららに陀那則舉謀耶羅羅儞。】拍上賜うちあげたまへ,吾常世等とこよたち。
 壽畢,乃赴節ことのふし歌曰: 稻蓆いなむしろ 川副楊かはそひやなぎ 水行みづゆけば 靡起立なびきおきたち 其根そのねは失うせず  小楯謂之曰:「可怜おもしろし。願復聞之!」天皇遂作殊儛たつづのまひ。【殊儛,古謂之立出儛たつづのまひ。立出,此云たつづ陀豆豆。儛狀まふかたち者,乍起あるいはたち乍居ゐ而儛之。】誥たけび之曰:
 倭者,彼彼茅原,淺茅原弟日,僕是也。  小楯由是深奇異あやしび焉,更使唱之。天皇誥之曰:  石上振之神椙いそのかみのふるのかむすぎ,【椙,此云すぎ須擬。】伐本截おしはらひ末,【伐本截末,此云もときりすゑおしはらひ謨登岐利須衞於玆婆羅比。】於市邊宮いちのへのみや治天下,天萬國萬押磐尊御裔あめよろづくによろづおしはのみことのみあなすゑ,僕やつこらま是也。
 小楯,大驚離席しきゐ,悵然いたみ再拜,承事供給つかへまつりをさめたてまつり,率屬欽伏つつしみつかへまつる。於是,悉發郡民こほりのたみ造宮。不日ひもへず權奉安置。乃詣京都みやこ,求迎二王。白髮清寧天皇聞,憙咨歎よろこびなげき曰:「朕無子也。可以為嗣ひつぎ。」與大臣、大連,定策禁中みやのうち。仍使播磨國司來目部小楯,持節將ゐ左右舍人,至赤石奉迎。 三、互禪皇位   白髮清寧天皇三年,春正月,天皇顯宗隨億計王仁賢到攝津國,使臣、連,持節以王青蓋車,迎入宮中。
 夏四月,立億計王仁賢為皇太子,立天皇顯宗為皇子。  五年,春正月,白髮清寧天皇崩。  是月,皇太子億計王與天皇讓位,久而不處。由是天皇姊飯豐青皇女いひどよのあをのひめみこ於忍海角刺宮おしぬみのつのさしのみや,臨朝秉政みかどまつりごとし,自稱忍海飯豐青尊おしぬみのひどよのあをのみこと。當世詞人ときのうたよみひと歌曰:
倭邊やまとへに 見みが欲物ほしものは 忍海おしぬみの 此高城このたかきなる 角刺宮つのさしのみや  冬十一月,飯豐青尊崩。葬葛城埴口丘陵かづらきのはにくちのをかのみさざき。  十二月,百官ももつかさ大會。皇太子億計,取天皇之璽,置之天皇之坐みまし,再拜從諸君之位曰:「此天皇之位,有功者いさをしひと可以處之。著貴蒙迎,皆弟之謀也。」以天下讓天皇。天皇顧讓:「以弟,莫敢即位。又奉白髮清寧天皇先欲傳兄,立皇太子。」前後固辭かたくいなび曰:「日月出矣,而爝火ともしび不息,其於光也,不亦難乎?時雨降矣,而猶浸灌そそく,不亦勞乎?所貴為人弟者,奉兄,謀逃脫離,照德いきほひ解紛,而無處也。即有處者,非弟恭之義。弘計,不忍處也。兄友弟恭ゐやまふ,不易之典つねののり。聞諸古老ふるおきな,安自獨輕?」
 皇太子億計曰:「白髮清寧天皇以吾兄之故,舉天下之事,而先屬我。我其羞之。惟大王首建利遁たくみのがる,聞之者歎息。彰顯あらはす帝孫,見之者殞涕。憫憫搢紳うれへたるうまひとのこ,忻よろこび荷戴天之慶,哀哀黔首かなしびたるおほみたから,悅逢履地之恩。是以,克固四維よも,永隆萬葉よろづよ,功鄰造物,清猷きよきみち映世哉。超とほきかも,邈はるけき矣。粵ここ無得而稱。雖是曰兄,豈先處乎?非功而據,咎悔とがくい必至。吾聞:『天皇不可以久曠むなし,天命不可以謙拒さりふせく。』大王以社稷くにいへ為計,以百姓為心!」發言慷慨はげむ,至于流涕かなしぶる。  天皇於是知終不處,不逆兄意,乃聽。而不即御坐みまし。世嘉其能以實讓曰:「宜哉!兄弟怡怡よろこびやはらぐ,天下歸德。篤むつぶる於親族うがらやから,則民興仁うつくしびのこころ。」 奈良縣北葛城郡新庄町忍海角刺神社
飯豐皇女 忍海角刺宮跡 忍海角刺神社。境內鏡池,傳飯豐尊執政角刺宮,日夜以為鏡而稱。 詞人稱飯豐青尊歌:「繼峰經倭邊 蒼生所欲見之物 葛城忍海處 巍峨聳立此高城 飯豐忍海角刺宮」
奈良縣葛城市北花內 北花內大塚古墳 飯豐天皇 葛城埴口丘陵 百官大會,『藝文類聚』人部讓云:「周書曰,湯放桀而歸於亳。 三千諸侯大會, 湯取天子之璽,置之於天子之座左。復而再拜,從諸侯之位。湯曰:『此天子之位,有道者可以處之矣。』」又云:「堯讓天下於許由曰:『日月出矣而爝火不息。其於光也,不亦難乎。時雨降矣而猶浸灌,其於澤也不亦勞乎。』」
奈良縣高市郡明日香村八釣 弘計皇子神社 近飛鳥八釣宮址 弘計皇子神社  元年,春正月己巳朔一,大臣、大連等奏言:「皇太子億計,聖德明茂ひじりのいきほひさかり,奉讓天下。陛下正統まさしきついで,當奉鴻緒あまつひつぎ,為郊廟あめのした主,承續うけつぐ祖無窮之列,上當あたり天心,下厭かなふ民望。而不肯踐祚あまつひつぎしろしめす。遂令金銀蕃國こがねしろかねのとなりのくに,群僚遠近,莫不失望。天命あめのよさし有屬。皇太子推讓。聖德彌盛,福祚孔章みさいはひはなはだあきらかなり。在孺いときなきとき而勤,謙恭慈順。宜奉兄命いろねのみことのり,承統大業あまつひつぎ!」制みことのり曰:「可。」乃召公卿まへつきみたち、百寮於近飛鳥八釣宮ちかつあすかのやつりのみや,即天皇位。百官陪位者はべるひとども皆忻忻焉。【或本云,弘計天皇之宮,有二所焉。一宮於少郊をの,二宮於池野いけの。又或本云,宮於甕栗みかくり。】
 是月,立皇后難波小野王なにはのをののみこ,赦天下。【難波小野王,雄朝津間稚子宿禰をあさづまわくごのすくね天皇曾孫,磐城王いはきのみこ孫,丘稚子王いはきのみこ之女也。】 五、置目老嫗  二月戊戌朔壬寅五,詔曰:「先王遭離多難わざはひ,殞命をはり荒郊。朕在幼年いとけなきとき,亡逃自匿,猥みだり遇求迎,升纂のぼりつげり大業。廣求御骨みかばね,莫能知者。」詔畢,與皇太子億計,泣哭憤惋いたみ,不能自勝。
 是月,召聚耆宿ふるおきな,天皇親歷問ことごとくにとひ。有一老嫗おみな,進曰:「置目おきめ知御骨埋處。請以奉示。【置目,老嫗名也。近江國あふみのくに狹狹城山君祖倭帒宿禰やまとふくろのすくね之妹,名曰置目。見下文。】」於是天皇與皇太子億計,將老嫗婦,幸于近江國來田綿くたわた蚊屋野かやの中,掘出而見,果如婦語。  臨穴哀號,言深ことねもころ更慟なげき。自古以來,莫如斯酷かかるいたみ。仲子之尸,交橫御骨,莫能別者。爰有磐坂皇子いはさかのみこ之乳母めのと,奏曰:「仲子者上齒うへのは墮落,以斯可別。」於是雖由乳母,相別髑髏みかしらのほね,而竟難別四肢みてあし、諸骨もろもろのみかばね。由是仍於蚊屋野中,造起雙陵ならびのみさざき,相似如一,葬儀みはぶりのよそほひ無異。詔老嫗置目,居于宮傍近處,優崇賜䘏あがめめぐみ,使無乏少ともしき。  是月,詔曰:「老嫗伶俜羸弱さすらひあつしれる,不便行步。宜張繩引絙ひきわたし,扶而出入。繩端懸鐸ぬりて,無勞謁者ものまをしひと,入則鳴之。朕知汝到。」於是老嫗奉詔,鳴鐸而進。天皇遙聞鐸聲おと,歌曰:
淺茅原あさぢはら 小确をそねを過すぎ 百傳ももづたふ 鐸鏗鏘ぬてゆらくもよ 置目來おきめくらしも  三月上巳三,幸後苑みその,曲水宴めぐりみずのとよのあかり。  夏四月丁酉朔丁未十一,詔曰:「凡人主みかど之所以勸民者,惟授官つかさたまふ也。國之所以興者,惟賞功也。夫前播磨國司來目部小楯,【更名磐楯いはだて。】求迎舉朕,厥功茂焉。所志願ねがはし勿難言。」小楯謝曰:「山官やまのつかさ,宿もと所願。」乃拜山官,改賜姓かばね山部連氏うぢ,以吉備臣きびのおみ為副そひつかさ,以山守部やまもりべ為民かきべ。褒善顯功,酬恩答厚,寵愛殊絕ことにすぐれ,富莫能儔ならぶ。
 五月,狹狹城山君韓帒宿禰ささきやまのきみからふくろのすくね,事連謨殺はかりころし皇子押磐。臨誅叩頭のみ,言詞極哀。天皇不忍加戮ころさしむる,充陵戶みさざきへ,兼守山,削除籍帳へのふみた,隸山部連。惟倭帒宿禰因妹置目之功,仍賜本姓狹狹城山君氏。  六月,幸避暑殿すずみのとの,奏樂うたまひ。會群臣まへつきみたち,設以酒食さけいひ。是年也,太歲乙丑。 滋賀縣東近江市市邊町 古保志塚 市邊押磐皇子墓
市邊押磐皇子墓 滋賀縣東近江市市邊町 古保志塚 佐伯部仲子墓 佐伯部仲子墓
仲子或書賣輪,為押磐皇子帳內,共為雄略帝所害,因埋同穴。 顯宗帝遙聞鐸聲歌:「荒蔓淺茅原 小确瘠地亦過兮 百傳驛鈴遠 鐸聲鏗鏘遙可聞 置目來歟吾心欣」 岩手縣平泉町字大澤 毛越寺曲水宴
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