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日本人文書紀。
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或本あるふみ云玉作部鯽魚女共前夫さきのをひと韓白水郎䎯生哭女。更共後夫のちのをひと住道人山寸生麤寸。
則哭女與麤寸,異父兄弟ことちちのえおと之故,哭女之女飽田女呼麤寸,曰:「於母亦兄也。」哭女嫁於山寸,生飽田女。山寸又淫たはけ鯽魚女生麤寸。則飽田女與麤寸,異母兄弟ことはらのえおと之故,飽田女呼夫麤寸,曰:「於吾亦兄也。」古者不言兄弟長幼あにおととひととなれるいとけなき,女以男稱兄,男以女稱妹。故云:「於母亦兄,於吾亦兄!」耳のみ。
是歲,日鷹吉士還自高麗,獻工匠須流枳てひとするき、奴流枳ぬるきら等。今倭國山邊郡額田邑熟皮高麗やまとのくにのやまのへのこほりのぬかたのむらのかはをしのこま,是其後也。
七年,春正月丁未朔己酉三,立小泊瀨稚鷦鷯尊武烈為皇太子。
八年,冬十月,百姓言:「是時國中無事,吏稱かなふ其官,海內歸仁うつくしび,民安其業。」
是歲,五穀登衍いつつのたなつものおひゆたか,蠶かひこ、麥善收,遠近清平,戶口滋殖おほみたからますますうまはる焉。
十一年,秋八月庚戌朔丁巳八,天皇崩于正寢おほとの。
冬十月已酉朔癸丑五,葬埴生坂本陵はにふのさかもとのみさざき。
日本書紀卷十五 終
筑波大學圖書館藏 難波津之圖
難波津之圖
飽田女家系圖
鯽魚女與韓白水郎䎯生哭女。哭女與住道人山寸生飽田女。
然住道人山寸上姦鯽魚女生麤寸。麤寸又娶飽田女為妻。
古時兄妹無分大小,稱男為兄,女為妹。夫婦亦相稱兄妹。故於飽田女喚麤寸為兄【夫】,飽田女之母哭女亦喚麤寸為兄【弟】。麤寸隨日鷹吉士發向高麗,故飽田女泣於難波御津。
大阪府藤井寺市青山 野中ボケ山古墳
仁賢天皇 埴生坂本陵
【久遠の絆】【卷十四】【卷十六】【再臨詔】
日本書紀 卷十六 武烈紀
小泊瀨稚鷦鷯天皇をばつせのわかさざきのすめらみこと 武烈天皇ぶれつてんわう
奈良縣櫻井市金屋
海柘榴市巷跡
武烈帝質鮪歌 其一:「潮瀨流且速 今見波折重幾重 游遊潮瀨間 鮪之鰭手鰭傍處 竟見吾契妻立兮【一本以潮瀨易水門。】」反歌:「人臣子弟宅 八重韓垣層層圍 何以緩之出影媛 吾君御子矣」
武烈帝質鮪歌 其二:「銳意大太刀 其刃立垂配腰間 今雖未出鋒 末果必當拔其刃 排除萬難會影媛」反歌:「雖冀為大君 營宅懸組垣八重 以籠女仕之 然汝必不欲他媛 故不得為懸組垣」
武烈帝質鮪歌 其三:「人臣子之宅 雖以八節柴垣編 一旦土下動 地震襲兮搖來者 八節柴垣將盡破【一本以八節柴垣易八重韓垣。】」
武烈帝贈影媛歌:「琴頭奏神懸 憑談來居影媛矣 汝若為玉者 洽為我所欲美玉 華貴珍珠鰒白玉」反歌:「八隅治天下 大君御帶倭文織 其雖結垂者 誰人僉不為吾念 所相思者唯鮪臣」
奈良市北 同仁德紀那羅山
乃樂山山道
鮪臣見戮,影媛至此,不由悲歌。
奈良縣天理市和爾町 石上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ 春日の 春日過ぎ 妻隱る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉碗に 水さへ盛り 泣き沾ち行くも 影媛あれば
乃樂山 影媛歌碑
影媛悲鯁歌 其一:「韴靈石上兮 布瑠靈地已過之 菰枕薦枕兮 高橋之鄉亦過之 數眾物多兮 大宅之所且過之 春和晴日兮 春日之域今過之 籠妻妻隱兮 小佐保者亦過矣 手持玉笥器 盛飯華皿在其間 捧執玉盌椀 汲汲盛水彼器中 啼泣盈淚沾襟行 物部影媛甚哀憐」其二:「青丹良且秀 奈良乃樂山谷間 非豬亦非鹿 埋隱水漬邊隅矣 水灌激飛散 鮪之若子藏於此 願豬莫漁出鮪子【此冀太子莫掘鮪臣屍。】」
.奈良縣櫻井市出雲 十二柱神社 武烈天皇泊瀨列城宮跡
小泊瀨稚鷦鷯天皇をばつせのわかさざきのすめらみこと,億計おけ天皇太子ひつぎのみこ也。母曰春日大娘皇后かすがのおほいらつめのきさき。
億計仁賢天皇七年,立為皇太子。長好刑理つみなへことわること,法令分明あきらけく,日晏ひくたつ坐朝,幽枉かくれたること必達,斷獄うたへ得情まこと。又,頻造諸惡もろもろのあしきこと,不修をさめる一善。凡諸酷刑からきのり,無不親覽。國內居人くぬちのたみ,咸皆震怖ふるつおづ。
十一年,八月,億計仁賢天皇崩。大臣平群真鳥臣おほおみへぐりのまとりのおみ專擅國政くにのまつりごと,欲王きみ日本,陽いつはり為太子營つくり宮,了つくりをはり即自居。觸事ことごと驕慢,都かつて無臣節やつこらまのわきまへ。
於是,太子思欲聘物部麤鹿火大連もののべのあらかひのおほむらじ女影媛かげひめ,遣媒人なかだち,向影媛宅期ちぎり會。影媛曾姧をかさる真鳥大臣男鮪しび。【鮪,此云しび玆寐。】恐違太子所期,報曰:「妾望奉待海柘榴市つばきち巷。」由是太子欲往期處,遣近侍舍人つかへまつるとねり就平群大臣宅,奉太子命,求索官馬つかさうま。大臣戲言たはぶれごと陽進曰:「官馬為誰飼養,隨命みことのりのまにまに而已。」久之不進。太子懷恨,忍不發顏みおもへりにいだす。果之所期,立歌場眾うたがきのひとなか,【歌場,此云うたがき宇多我岐。】執影媛袖,躑躅從容たちやすらひいざなふ。俄而鮪臣來,排おしはなち太子與影媛間立。由是太子放影媛袖,移迴向前立,直當むかひ鮪,歌曰:
潮瀨しほせの 波折なをりを見みれば 泳來あそびくる 鮪しびが鰭手はたでに 妻立つまたてり見みゆ【一本,以「潮瀨しほせ」易「水門みなと」。】
鮪答歌かへしうた曰:
臣子おみのこの 八重やへや韓垣からかき 緩ゆるせとや御子みこ
太子歌曰のたまはく:
大太刀おほたちを 垂佩立たれはきたちて 拔ぬかずとも 末果すゑはたしても 會あはむとぞ思おもふ
鮪臣しびのおみ答歌曰:
大君おほきみの 八重組垣やへのくみかき 懸かかめども 汝なを編あましじみ 懸かかぬ組垣くみかき
太子歌みうたよみ曰:
臣子おみのこの 八節柴垣やふのしばかき 下動したとよみ 地震なゐが搖來よりこば 破やれむ柴垣しばかき【一本,以「八節柴垣やふのしばかき」易「八重韓垣やへからかき」。】
太子贈おくり影媛歌曰:
琴頭ことがみに 來居影媛きゐるかげひめ 玉是たまならば 我あが欲ほる玉たまの 鰒白玉あはびしらたま
鮪臣為ため影媛答歌曰:
大君おほきみの 御帶みおびの倭文織しつはた 結垂むすびたれ 誰たれやし人ひとも 相思あひおもは無なくに
太子甫はじめ知鮪曾得えたる影媛,悉覺父子無敬之狀ゐやなきさま,赫然おもほてり大怒。此夜,速向大伴金村連おほとものかなむらのむらじ宅,會つどへ兵計策はかり。大伴連將ゐ數千兵,儌之さききり於路,戮ころす鮪臣於乃樂山ならやま。【一本云,鮪宿影媛舍いへ,即夜そのよ被戮。】是時,影媛逐行おひゆき戮處,見是戮已をへつ,驚惶かしこみ失所,悲淚盈目。遂作歌曰:
石上いすのかみ 布瑠ふるを過すぎて 薦枕こもまくら 高橋過たかはしすぎ 物多ものさはに 大宅過おほやけすぎ 春日はるひの 春日かすがを過すぎ
妻隱つまごもる 小佐保をさほを過すぎ 玉笥たまけには 飯いひさへ盛もり 玉盌たまもひに 水みづさへ盛もり 泣沾なきそほち行ゆくも 影媛哀かげひめあはれ
於是影媛收埋をさむめうづむ既畢,臨のぞみ欲還家,悲鯁而言:「苦哉くるしきかも!今日,失我愛夫はしづま!」即便灑涕愴矣なみたをそそきていたみ,纏むすぼれ心歌曰いはく:
青丹良あをによし 乃樂谷ならのはさまに 豬鹿ししじ物もの 水漬みづく邊隱へごもり 水灌みなそそく 鮪若子しびのわくごを 漁出勿豬子あさりづなゐのこ
冬十一月戊寅朔戊子十一,大伴金村連謂太子曰:「真鳥賊あた,可擊。請討之。」太子曰:「天下將亂。非希世之雄たけきひと,不能濟ことなす也。能安之者,其在連乎?」即與定謀。
於是,大伴大連率兵自將圍大臣宅,縱はなつ火燔之。所撝さしまねく雲靡。真鳥大臣恨事不濟,知身難免,計窮望絕はかりこときはまりのぞみたえ,廣指鹽詛とごふ。遂被殺戮,及其子弟うがら。詛時,唯忘角鹿海鹽つぬがのうしほ,不以為詛。由是角鹿之鹽為天皇所食おもの,餘あたし海之鹽為天皇所忌おほみいみ。
十二月,大伴金村連平定賊訖,反かへし政太子。請上尊號みな曰:「今億計仁賢天皇子,唯有陛下きみ。億兆おほみたから攸歸,曾無與二。又賴みたまのふゆ皇天翼戴たすけたまふ,淨除凶黨あた。英略雄斷すぐれたるはかりごとををしきたばかり,以盛天威天祿あまついきほひあまつしるし。日本やまと必有主。主日本者,非陛下而誰。伏願陛下,仰答靈祇あまつかみくにつかみ,弘宣景命おほきなるみこと,光宅てります日本,誕受銀鄉たからのくに。」於是太子命有司つかさ,設壇場たかみくら於泊瀨列城はつせのなみき,陟天皇位あまつひつぎしろしめす。遂定都みやこ焉。
是日,以大伴金村連,為大連おほむらじ。
二、武烈帝之暴虐
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