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日本人文書紀。


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 是歲,於吉備中國川嶋河派きびのみちのなかつくにのかはしまのかはまた,有大虬みつち令苦人。時路人觸其處而行,必被其毒,以多死亡みうす。  於是,笠臣かさのおみ祖縣守あがたもり,為人勇悍而強力ちからこはし。臨派淵ふち,以三全瓠おふしひさこ投水曰:「汝屢吐毒,令苦路人。余われ殺汝虬。汝沉是瓠,則余避之。不能あたはず沉者,仍斬汝身。」  時水虬みつち化鹿,以引入瓠。瓠不沉。即舉劍入水斬虬。更求虬之黨類ともがら,乃諸虬族みつちのやから滿淵底之岫穴ふちそこのくき。悉斬之,河水變血。故號其水曰縣守淵あがたもりのふち也。
 當此時,妖氣稍動わざはひやくやくにうごく,叛者そむくもの一二始起。於是天皇夙興夜寐つとにおきおそにいね,輕賦薄斂,以寬民萌おほみたから,布德施惠,以振困窮,弔死問疾,以養孤孀。是以政令流行まつりごとしきながれ,天下太平,二十餘年無事矣。  八十七年,春正月戊子朔癸卯十六,天皇崩。  冬十月癸未朔己丑七,葬于百舌鳥野陵もずののみさざき。
日本書紀卷十一 終 (C)久遠の絆 再臨詔 FOG 大虬【みつち】
虬或作蛟,身形似龍而格低。說文解字:「虬,龍無角者。」 大阪府堺市堺區大仙町 仁德天皇 百舌鳥野陵
墳丘長四百八十六米,後圓部高卅五米。茲與中國秦始皇陵,埃及法老王墓,並為世界三大陵墓。百舌鳥者,伯勞鳥也。 [久遠の絆] [卷第十] [卷十二] [再臨詔] 日本書紀 卷十二 履中紀/反正紀
【履中天皇】【反正天皇】 去來穗別天皇いざほわけのすめらみこと 履中天皇りちゅうてんわん 納采
今云結納。『禮記』:「昏禮既納幣,有吉日。女之父母死,則如之何?」鄭玄注:「謂昏禮納徵也。【云云。】吉日,取女之吉日。」 大阪歷史博物館藏 前期難波高津宮 復原模型
記云:「本坐難波宮之時,坐大嘗而為豐明之時,於大御酒歡醺【宇良宜】而大御寢也。爾其弟墨江中王欲取天皇,以火著大殿。」 大阪府竹內街道【丹比道】周邊 飛鳥山
飛鳥山口,記云:「大坂山口。」蓋同。當摩徑,『和名抄』:「大和國葛下郡當麻。【多以末。】」 太子謝少女歌:「河內大和堺 大坂所遇娘子矣 問道彼少女 不告近道訴遠路 諫吾迂迴當摩徑」 河內、大和國界,信貴山南,大和川北
龍田山 『古事記』循教走當摩徑,而『書紀』不然,徑行龍田道至石上。 奈良縣天理市布留町
石上振神宮 石上神宮  去來穗別天皇いざほわけのすめらみこと,大鷦鷯おほさざき天皇太子也。【去來,此云いざ伊弉。】母曰磐之媛命いはのひめのみこと,葛城襲津彥かづらきのそつびこ女也。  大鷦鷯仁德天皇三十一年,春正月,立為皇太子ひつぎのみこ。【時年十五。】
 八十七年,春正月,大鷦鷯仁德天皇崩。  皇太子自諒闇みものおもひ出之,未即尊位たかみくら之間,以羽田矢代宿禰はたのやしろのすくね之女黑媛くろひめ欲為妃,納采あとふること既訖,遣住吉仲皇子すみのえのなかつみこ,而告吉日よきひ。時仲皇子冒太子名,以姧たはく黑媛。  是夜,仲皇子忘手鈴てのすず於黑媛之家而歸焉。
 明日之夜,太子不知仲皇子自姧而到之。乃入室よどの,開帳とばり居於玉床みどこ。時床頭とこのべ有鈴音。太子異之あやしびたまひ,問黑媛曰:「何鈴也?」對曰:「昨夜きぞ之非太子所齎鈴乎?何更問妾やつこ?」太子自知仲皇子冒名以姧黑媛,則默之避也さりたまふ。  爰仲皇子畏有事,將殺太子。密興兵,圍太子宮難波高津宮。時平群木菟宿禰へぐりのつくのすくね、物部大前宿禰もののべのおほまへのすくね、漢直あやのあたひ祖阿知使主あちのおみ三人,啟於太子。太子不信。【一云,太子醉ゑひ以不起。】故三人扶太子,令乘馬而逃之。【一云,大前宿禰抱太子而乘馬。】仲皇子不知太子不在,而焚太子宮。通夜火不滅よもすがらひきえず。太子到河內國埴生坂かふちのくにのはにふのさか而醒之。顧望難波なには,見火光而大驚。則急馳之自大坂おほさか向倭やまと,至于飛鳥山あすかのやま,遇少女をとめ於山口やまのくち。問之曰:「此山有人乎?」對曰:「執兵つはもの者多滿山中。宜迴自當摩徑たぎまち踰之。」太子於是以為,聆少女言,而得免難わざはひをまぬかる,則歌之曰: 大坂おほさかに 遇あふや少女をとめを 道問みちとへば 直ただには告のらず 當摩徑たぎまちを告のる
 則更還之,發當縣兵そのあがたのいくさ令從身つかへ,自龍田山たつたのやま踰之。時有數十人執兵追來者。太子遠望とほくみそこなはし之曰:「其彼來者誰人也?何步行おひくる急之,若賊人あた乎?」因隱山中而待之。近則遣一人問曰:「曷人なにひとぞ?且何處往矣?」對曰:「淡路野嶋あはぢののしま之海人あま也。阿曇連濱子あづみのむらじはまこ,【一云,阿曇連黑友くろとも。】為仲皇子令追太子。」於是出伏兵かくしいくさ圍之,悉得捕。  當是時,倭直吾子籠やまとのあたひあごこ素好仲皇子。預知其謀はかりこと,密聚精兵ときいくさ數百於攪食栗林かきはみのくるす,為仲皇子將拒太子。時太子不知兵塞,而出山行數里あまたさと,兵眾多塞,不得進行。乃遣使者,問曰:「誰人也?」對曰:「倭直吾子籠也。」便還問使者曰:「誰使焉?」曰:「皇太子之使。」時吾子籠憚其兵眾いくさども多在,乃謂使者曰:「傳聞:『皇太子有非常之事おもほえぬこと。』將助以備兵待之。」然太子疑其心,欲殺。則吾子籠愕之,獻己妹日之媛ひのひめ,仍請赦死罪しぬるつみ。乃免之。其倭直等貢采女うねめ,蓋始于此時歟。  太子便居於石上振神宮いそのかみのふるのかむみや。於是瑞齒別皇子みづはわけのみこ知太子不在,尋之追詣。然太子疑弟王おとのみこ之心而不喚。時瑞齒別皇子令謁曰:「僕無黑心きたなきこころ,唯愁太子不在而參赴まゐきつらく耳。」爰太子傳告弟王曰:「我畏仲皇子之逆,獨避至於此,何且非疑汝耶?其仲皇子在之,獨猶為我病やまひ。遂欲除。故汝寔勿黑心,更返難波而殺仲皇子,然後乃見焉。」瑞齒別皇子啟太子曰:「大人うし何憂之甚也?今仲皇子無道あづきなし,群臣まへつきみたち及百姓おほみたから共惡怨之。復其門下いへ人皆叛為賊,獨居ひとりゐ之無與誰議。臣雖知其逆,未受太子命おほみこと之。故獨慷慨ねたみつらく之耳。今既被命,豈難於殺仲皇子乎?唯獨懼之,既殺仲皇子,猶且疑臣歟。冀見得忠直者ただしきひと,欲明臣之不欺いつはらざること。」太子則副木菟宿禰而遣焉。爰瑞齒別皇子歎之曰:「今太子與仲皇子並兄也。誰從矣したがひ,誰乖矣そむかむ?然亡無道,就有道,其誰疑我?」則詣于難波,伺仲皇子之消息あるかたち。仲皇子思太子已逃亡,而無備。
 時有近習隼人つかへるはやひと,曰刺領巾さしひれ。瑞齒別皇子陰喚刺領巾,而誂之あとらへ曰:「為我殺皇子,我必敦報汝。」乃脫錦衣にしきのきぬ、褌はかま與之。刺領巾恃其誂言,獨執矛,以伺仲皇子入廁かはや而刺殺さしころし,即隸于瑞齒別皇子。於是,木菟宿禰啟於瑞齒別皇子曰:「刺領巾為人殺己君。其為我雖有大功おほきなるいさをし,於己君無慈うつくしびなき之甚矣。豈得生乎?」乃殺刺領巾。即日向倭也,夜半臻まゐたり於石上而復命。於是,喚弟王以敦寵,仍賜村合屯倉むらはせのみやけ。  是日,捉とらふ阿曇連濱子。 二、即位磐余雉櫻宮,置諸國國史
 元年,春二月壬午朔一,皇太子即位於磐余稚櫻宮いはれのわかさくらのみや。  夏四月辛巳朔丁酉十七,召阿曇連濱子,詔之曰:「汝與仲皇子共謀逆さかふることをはかり,將傾國家くに,罪當于死。然垂大恩うつくしび,而免死科墨ひたひきざむつみ,即日黥之めさききざましむ!」因此時人曰阿曇目あづみめ。亦免從濱子野嶋海人之罪,役於倭蔣代屯倉こもしろのみやけ。  秋七月已酉朔壬子四,立葦田宿禰あしはのすくね之女黑媛為皇妃みめ。
  妃生,磐坂市邊押羽皇子いはさかのいちのへのおしはのみこ、御馬皇子みまのみこ、青海皇女あをみのひめみこ。【一曰,飯豐皇女いひどよのひめみこ。】  次妃,幡梭皇女はたびのひめみこ。   生,中磯皇女なかしのひめみこ。是年也,太歲庚子。
 二年,春正月丙午朔己酉四,立瑞齒別皇子為儲君ひつぎのみこ。  冬十月,都於磐余。當是時,平群木菟宿禰、蘇賀滿智宿禰そがのまちのすくね、物部伊莒弗大連もののべのいこふつのおほむらじ、圓大使主つぶらのおほみ,【圓,此云豆夫羅つぶら。】共執國事。  十一月,作磐余池いはれのいけ。
 三年,冬十一月丙寅朔辛未六,天皇泛兩枝船ふたまたぶね于磐余市磯池いはれのいちしのいけ,與皇妃各分乘而遊宴あそび。  膳臣余磯かしはでのおみあれし獻酒おほみき。時櫻花落于御盞おほみさかづき。天皇異之,則召物部長真膽連もののべのながまいのむらじ,詔之曰:「是花也,非時ときじく而來。其何處いづく之花矣?汝自可求。」於是,長真膽連獨尋花,獲于掖上室山わきがみのむろのやま而獻之。天皇歡其希有めづらしき,即為宮名。故謂磐余稚櫻宮,其此之緣えに也。  是日,改長真膽連之本姓もとつかばね,曰稚櫻部造わかさくらべのみやつこ。又號膳臣余磯,曰稚櫻部臣わかさくらべのおみ。
 四年,秋八月辛卯朔戊戌八,始之於諸國置國史ふみひと,記言事ことわざ達四方志よものふみ。  冬十月,掘石上溝いそのかみのうなで。  五年,春三月戊午朔一,於筑紫つくし所居三神宗像,見于宮中言:「何奪我民矣?吾今慚汝!」於是禱いのり而不祠まつりたまはず。
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